432 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:09/10/12(月) 14:45 ID:iGcb/mzM
>>431 こんにちは。1です。

ゆとり教育についてなんですが、ちょっと後回しにします。
理由は分からないんですが、
書こうとすると「やめとけ」と言われているような気が毎回するんですね。

書こうとしていたことは簡単なことです。

理念が抜けて、受け皿となる就職口が減り、目減りしたカリキュラムのみが残った。
その結果がこれだ、と。

書けば書けるのに、なんなんでしょうね。

「個」のあり方、独りでいるときの居方、
とりあえず次はそれについて考えることにします。


433 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:09/10/12(月) 16:18 ID:iGcb/mzM
さて。

だいぶ前に戻らなければならないので、もう一度仕切り直すことにします。

学校においては、集団の一員としてのふるまい方については、
目線や声の出し方に到るまでこと細かく具体的に指示されます。

一方、生徒が独りで居るときのふるまい方については、
まるでそんな状態がはじめから存在しないかのように、何も教えられません。



435 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:09/10/12(月) 16:34 ID:iGcb/mzM
私が小学生だったときに、
運動会の演目として「表現」だったか、「集団表現」とかいう、
そんな硬い名前の出し物があったんですね。

集団で、音楽や笛の合図に合わせて、「波」や「大きな生き物」を表すんですね。

動きは次々と変わるのですが、「位置取り」と「同調」、そして「緊張」が
極端に厳しく求められていたのを思い出します。

「おい、○○!お前だけ手がまっすぐ伸びていない!
一人だけ動きがズレるとすごく目立つんだよ!」

こんなことをメガホンで名指しで怒鳴られるわけで、なかなか楽な話ではありません。



437 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:09/10/12(月) 16:50 ID:iGcb/mzM
練習には、毎年9月の1ヶ月をほぼまるまる使っていました。
運動会はちょうど今ごろでしたね。

私はそこでは極端な劣等生でした。よくメガホンで怒鳴られたものです。

運動神経は悪くなかったと思うのですが。
今思えば、どこかで強く反発していたんでしょうね。
幼いとはいえやはり私です。もし今会えたら誉めてやりたいくらいですが。

行進も下手でした。
私が下手というよりは、みんながなんでそこまで頑張れるのかが理解できない。
並の生徒たちが、勉強では見せたことのない集中力を発揮し、維持するんですね。

438 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:09/10/12(月) 17:19 ID:iGcb/mzM
>>434、>>436 こんにちは。
私は、あの「表現」が、裏プログラムの最たるものではなかったかと、
今振り返って思います。

そして、小学校の運動会での行進も、
朝礼台の前で校長に向かって右手を斜めに挙げるという、
ナチスの方式を踏襲したものでした。

高校のとき、その行進が軍国的な形式だということで、
止めるかどうかを生徒の代表が集まって話し合いになったことがあります。

結果的に、生徒たちはナチス式を断行したんですが、その理由は「格好いいから」というものでした。
これには、教師たちの方がひいていました。
「おまえらがそう決めたなら、いいけど」というときの、
教師の侮蔑を含んだ表情が思い出されます。

私の通った高校は、戦争教育に非常に熱心でした。
加えて国立でしたから日の丸の掲揚などは率先して行うべき立場だったのでしょうが、
従っていない教職員や生徒は一定数いた、そんな学校でした
(メーケーだかショーシだかの大元締めが校内にいっぱいいたのだろうと思います)。

439 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:09/10/12(月) 17:32 ID:iGcb/mzM
小学校のときの同級生たちは、
明らかに勉強より、集団の一員としての教育の方をよく吸収・体得していました。
「こいつら勉強でこのくらい集中すれば、すごいのに」
となんとなく思ったのを覚えています。

高校のときのエピソードに関しては、
「格好いいから」かあ、確かに、
ある形式を踏まえて格好をつけることにはなるでしょうが、
生徒たちは誰も軍国的なメッセージを送ろうとは思っていなかったはずです。

むしろ、なぜ軍国的なメッセージとして受け止められるリスクを犯してまで、
「格好いい」を優先したのか、ということの方が、おそらくは重要です。

440 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:09/10/12(月) 17:44 ID:iGcb/mzM
おそらくは、井谷教授も進めている「集団達成」的な教育には、
利点もあるのでしょう。

集団が集団として動くときに、一糸乱れず統率されているということは、
「効率」がいい、ということです。

全員のエネルギーと意志が
ある特定の目的に向かっていて、無駄がないことを端的に示すのだと思います。

しかしそれは、裏を返せば、
目的に合わないものを排除するということです。
いわば、各メンバーに対する一種の脅迫です。

目的が一つしかないということには、リスクが伴います。
その目的自体が陳腐化したり、間違っていたときには、
進路を間違った軍隊が全滅するように、集団の受ける被害は甚大なものになります。



441 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:09/10/12(月) 18:02 ID:iGcb/mzM
戦後の日本というのは、
国民を経済発展という一つの目的に向けて牽引することに成功した時代だと
位置付けることができるかと思います。

そして高度成長が終わり、その目的が陳腐化した後も、
無制限に経済発展を望むことが悪であるという転換は起こりませんでした。

バブル経済突入後、国民が金に狂奔するようになりました。
また、環境問題は、個人の努力という(全く根本的でない)偏狭な次元と、
エコカーや排出権取引のような経済本位の次元に、
極端に分断されてしまっています。

国民を牽引するに足る単一の目的を、国は一旦失ってしまったのだと思います。
価値観の多様化とは、その迷走状態に他なりません。

443 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:09/10/12(月) 18:18 ID:iGcb/mzM
>>442 こんばんは。

先日、大学で講義めいたことをしたときに見た大学生たちは、
集団での居方はよく心得ていました。
みんな、一様に明るい。
楽しいばかりでもないだろうに、みんなよく笑っていました。

あれは、学習によって身に付けた居方であり、作法であり、
自己防衛のための術です。

かつて私が「あまりにものどかだ」と評した京レのオープンキャンパスでも、
京レの学生たちは実によく笑顔を見せていたんですね。

仮面が顔に食い込んだような、集団に個が侵食されきったような笑顔。

ああなる前に、あるべき「個」があるんじゃないか、
「個」のあり方もまた、教えるというのはともかく、
各人が意識しないとダメなんじゃないか。

そう思うのです。

445 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:09/10/13(火) 20:15 ID:Ne3OCAcQ
>>444 こんばんは。1ですが。

「個」としての居方などというものは、学校で教わらないだけでなく、
家庭でも、習い事でも、要は社会的な集団の中には、どこにも学ぶ機会がありません。
そして、社会に出た時点では、それはいつのまにか、
身に付いたものとして見なされています。

集団としての居方を教えるのであれば、
個としての居方も、
また同じだけの重みをもって扱うべきなんじゃないかと思うのです。

ゆとり教育が「個」の尊重をどこではき違えたのかと考えてみると、
時間のゆとりを与えられた小学生が、
個々に学校以外のさまざまな集団に属してはみたが、
それは結局、個々人が、さまざまな集団の論理を知ったということに留まった、
という点にあると思います。

447 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:09/10/13(火) 20:28 ID:Ne3OCAcQ
さまざまな集団に所属し、それぞれの集団におけるルールの違いを経験すれば、
普通はそれらを相対化する能力をもった「個」が芽生えやすくなると思います。
中教審もそう考えたはずです。

しかし実際はそうではなかった。

「個」を念頭に置かない集団内部での身の置き方は、
どこにいってもたいして変わりないからです。

つまり、ニコニコ笑って敵愾心(←ケータイでも出せるんだ、この字)のないことを示し、
いじめのターゲットになることを避け、
和を乱さないことを第一義に置けばよいことに変わりはなかったし、
どの集団に属しても似たような振る舞いを求められたということです。

ゆとり教育によって、日本的な集団論理はむしろ強められる機会を得た、
といったら言い過ぎでしょうか。


448 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:09/10/13(火) 20:30 ID:8qiOjOY2
頭がイマイチついて行かないので、もすこしkwskおねがいします。

もともと日本の学校教育は個の尊重という概念はほとんどなかったと言って良いですよね。
ゆとりで何か変わった、個を尊重しようという動きがあったということでしょうか?


449 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:09/10/13(火) 21:15 ID:Ne3OCAcQ
>>446、>>448 こんばんは。

また中教審のページをひっくり返していました。

1996年7月19日の答申に、>>448さんの問われた内容がぼちぼち書いてありました。

この答申は、私がよく使う1991年の第29回答申の次の資料になります。
実に5年も空いているんですね。
単に閲覧可能な資料において、期間が空いているというだけかもしれませんが。

この答申では、既に「ゆとり」という言葉は頻繁に登場しています。

中教審の目指したのは、「生きる力」を子供に与えるような教育をしていこう、
というものです。

「生きる力」の具体的内容については
多岐に渡っているのでまとめにくいのですが、
その「生きる力」を育む2本の柱として、中教審は以下のことを挙げています。
・豊かな人間性(主体性とかそれ系のあれこれです)
・たくましく生きるための健康や体力

450 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:09/10/13(火) 21:27 ID:Ne3OCAcQ
ちょっと回り道にはなるのですが。

上に挙げた2つの柱をもとに、
「集団生活が営まれているという特質を生かしつつ、
望ましい人間関係の形成、社会の基本的なモラルなどの倫理観」を学ばせることを、
中教審は目指していました。

まあそれだけならゆとり教育が「個」の育成を目指したことにはならないのですが、
同じ答申の別箇所をみると、
経済の行き詰まりや、雇用情勢の不透明化(終身雇用が崩れ始めた時期です)、
それから科学技術の発展が、外国のマネでは立ち行かなくなっていること
(今後の世界をリードするためには独創性が要る)
などの要件を挙げて、
個人が自分で考えて状況に応じながら生きていくような力を身に付けなければならない、
それもまた「生きる力」だ、と述べています。

453 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:09/10/13(火) 21:37 ID:Ne3OCAcQ
実際、教育のシステム上も、従来のクラス一斉の座学ではなく、
「チーム」「グループ」に加え、「個別」による指導を導入し、
「問題提起型」、そして「体験型」の学習を行っていこうとしていたといいます。

学習の場も、学校で完結させるのではなく、
生徒個々人が特性に応じて、
地域社会や、公共施設、スポーツ施設などを活用することにより、
いわゆる生涯学習を推進しようと中教審は考えていたようです。

要は、民間の力を活用して、スポーツをやりたい子は市営グラウンドに行き、
天体観測をしたい子は天文台を利用できるようにしていこう、ということです。


454 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:09/10/13(火) 21:42 ID:Ne3OCAcQ
>>451 シブいすね。
>>452 本筋なんかあってないようなものなので、いいです。

板野サーカス(誰かわかるかな?)のように
ホーミングミサイルを多方面から一斉射出して、
目指すは全弾命中であります(無理)ゆえ。


455 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:09/10/13(火) 21:50 ID:Ne3OCAcQ
とか書いてる端から凹復帰とか。マジかよ。

ままならないものです。

すみません、たぶんまた明日にします。


460 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:09/10/14(水) 21:55 ID:SvWKdAJ2
続きを。

中教審は、学校の授業で生徒たちが体を動かしたり体験を積むことにより、
学習に対する動機づけを図ると同時に、
点数化の比重を下げることで、劣等感をもつ子を減らそうとしていたのだと思います。

また、個々の生徒が好みや能力に合わせて、
主に土日を使って学校外の活動に加わることにより、
多様な能力を身につけてくれることを願っていたのだと思います。

クラスに多様な特性をもった子供が共存するようなイメージです。



461 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:09/10/14(水) 22:08 ID:SvWKdAJ2
別に答申には書かれてはいなかったんですが、
この方針からは、何か、
種の多様化を人為的に起こすことで、絶滅を防ぐのと似たような目的を感じます。

時代の先が読めないことと、未来の見通しの厳しさを、
中教審は複数の答申の中で繰り返し強調しています。

国は、そうした未来の経済的・精神的な厳しさを予測した上で、
その厳しさに簡単に負けないだけの生き残る気力と能力を、
未来の国民に期待したのではないでしょうか。

たとえ、みんなが幸せにはなれなくても。

たとえ、過去の世代が遺した重いツケを背負わされることになろうとも。

463 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:09/10/14(水) 22:20 ID:SvWKdAJ2
もちろん中教審は、国民全員が幸福に生きることを目指していたわけで、
その意味では、先の私の言葉はいいがかりに過ぎないのですが。

斜陽に差し掛かった国が、
あまつさえ資源もなく、高齢化が進んで経済を圧迫することだけは確かなこの国が、
いかに生き残るか。
そういう大命題を中教審が意識していなかったとは考えられません。
先手を打つために、教育のできることとは何かと考えたはずです。



464 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:09/10/14(水) 22:37 ID:SvWKdAJ2
これからの日本は、経済での「負け」は避けられません。
負けというよりは、負担といった方がいいのかもしれませんが、
年金や医療の負担増加や人口の減少だけを考えても、
これからの世代が、潰れそうな重石を背負った状態で一生を歩まされることになるのは
間違いありません。


彼らが、その荷を放り投げない限り。


荷に耐えるには、
カネを生み出して少しでも荷を軽くすることと、
個々の国民の人生が、重い荷を背負いつつも、進むに足る価値をもっていること、
この両方が必要です。

465 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:09/10/14(水) 22:57 ID:SvWKdAJ2
文部省、後の文部科学省が取り組むべきは、
もちろん経済問題そのものではなく、
国民の「心」という、得体の知れない、しかし国家維持の鍵となる問題でした。

「ゆとり教育」。それは、厳しい未来にもかかわらず、
若者たちが、自らの未来に絶望して国を壊さないだけの
心の「ゆとり」を保てるかどうか、
そして、厳しさに直面する前に、
若い世代の心の中に、柔軟かつ強靭な「ゆとり」を育むことができるかどうか、
そこへ向けた、タイムリミットありのミッションではなかったかと思うのです。

裏を返せば、今のまま、国民が90年代初頭までのように
経済ばかりに目を向けたままの状態で時代が厳しさを増せば、
重い荷に耐えつつ責任を果たそうとする人間が誰もいなくなるのではないか、
といった寒い怖れ。
これを避けたかったのではないかと思うのですが。

466 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:09/10/14(水) 23:13 ID:SvWKdAJ2
>>462 こんばんは。

だから、国は学校間格差を敵視し、偏差値偏重を糺そうとした。
私はそう考えます。

自分だけよい就職をしてラクになりたい、自分さえよければいい、
と願う精神構造をもった人間が溢れたのでは社会が本当に回らなくなる、
そういう時代はすぐに来るのだ、
そのようなことを、
はっきりとは言わないまでも(言えないので)、
中教審は必死に警告していたのではないかと思うのです。


467 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:09/10/14(水) 23:24 ID:SvWKdAJ2
学歴競争は、その実、競争を回避する心からでた行動に他ならない、
と第29回答申は喝破しています。

学歴競争に参加することにより、
単に自分のよい就職のために将来の競争を避けているということに留まらず、
人並みに添うことを目指しただけという意味では、
受験競争すらが競争回避的行動である、と。

このへんは正直原文にあたっていただいた方が
誤解が少なくていいのだと思いますが。

何が悪いんだ、と言われればそのとおりなのですが、
自分だけ良ければいいのか、という中教審の言葉が、
足を引っ張るイメージ抜きに発せられていることは、
なかなか伝わりにくい部分だろうなあと思います。


468 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:09/10/14(水) 23:49 ID:SvWKdAJ2

「にもかかわらず」

「○○のために生まれてきたのではない」

私がこのスレで得た2つのキーワードに共通点があるとすれば、
それはいずれも逆説的なことばだということです。
まっすぐな言葉ではない。
これは私がヒネているせいかもしれません。

そして両者とも、前後に具体的な内容を伴わないと意味をなさない。

個別の例をあてはめないと成り立たないという意味では徹底的に個別的であり、
かつ、必ず前後を必要とするという意味においては、
他者との関係性を必要とするといったら
幾分まとめすぎでしょうかね。

流れを保ったまま、京レの問題へ、再度焦点をあてていきます。


470 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:09/10/15(木) 10:10 ID:iQaVd5mo
素晴らしい。やや難解で繰り返し読まないと分からない時もありますが(それは自分がアホだからです)、
本当に説得力があるし、奥が深いです。ワクワクしながら聞いた、自分の好きな教授の講義を思い出します。
これから先も楽しみにしています。


471 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:09/10/15(木) 13:08 ID:Z3MacoJI
>>469、>>470 こんにちは。1です。

中教審をいじりだしてから、資料が膨大すぎて、
最近かなり不親切な書き方になってしまっています。
文章としてのリズムもなくなっているので、読みにくいと思います。
つまらない謙遜ではなく、明らかに自覚があるんです。

頭にあることだけで捌けるかなあと思っていたのですが、とんでもなかったです。

それにしても、第29回答申の第1部を書いたのは誰だったのか、今もって知りたいですね。

あとの答申はどれをみても文字どおり官僚的でつまらなかったのですが、
あそこだけには、文章にドライヴ感がありました。

硬度と内容の濃さを保ちつつ、かつ比較的スムーズに読める、
ドライヴ感のある文章を書くことは可能だと私は考えています。

叙事詩や叙景詩や叙情詩があるなら、
叙「論」詩や叙「理」詩があったっていいじゃないかと思うのです。ゴロは悪いですが。

472 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:09/10/15(木) 21:30 ID:Z3MacoJI
振り返るとなにやら実存主義の復習みたいになってきてるんですが、
そういった分野の用語を使うとかえってややこしいので
(素人だし用語の厳密さに責任がもてない。内容が分かる人も減る)、
日常語のまま押し切ります。

実存主義って、今ではすっかりすたれた言葉ですが、悪くないですよ。
ウィキだけ見ても、このスレとちょいちょい関連する部分があるはずです。

実存主義のページからは、「人生の意義」なんていう
気恥ずかしくなるような名の項目がリンクされてるんですが、
これなんか、中教審の思想の下敷きになっているんじゃないかと思えるほどです。
(私も今日初めて読みました)

図らずも長くなったのでまた次。