284 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:09/09/21(月) 12:18 ID:hO0M2ETs
ああその前に、物語の作法ということで一つ思い出しました。
小川洋子が何かの本で、物語の作り方を
自分で語っていたのをみたことがあるのです。
彼女は、まず物語が終わったはるか後の時点から、物語を作り始めるといいます。
それも、舞台となる「場所」から物語のディテールを組み立てるのだそうです。
既に「廃墟」となった舞台から、もうとっくに死んだ後の登場人物とともに、
時間を遡行しながら、
徐々に物語は組み上がっていくのだといいます。
286 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:09/09/21(月) 12:28 ID:hO0M2ETs
小川洋子は、登場人物の性格や内面などは後からできてくるもので、
最初から決めているものでもないといいます。
その本の中にあった「懐かしい」という表現を覚えているのですが、
もう物語を終えた登場人物(「幽霊」だったか「亡霊」と表現していました)
と、「廃墟」で「懐かしく」語り合ううちに、
つまり、そもそもまだ始まってもいない物語を後から振り返るうちに、
徐々に定まってくるのだというのです。
287 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:09/09/21(月) 12:48 ID:hO0M2ETs
今にして思えば、おそらく小川洋子は、
「上手に思い出」しているのでしょう。
「死んだ子の歳を数えるように思い出」しているのだと思います。
割れた「卵」の前に立つところから、人の去った壁の前に立つことから、
壁にぶつかる前の苦しみや、壁にぶつかる痛みに思いを馳せ、涙するところから
物語は始まらなければならないと思うからです。
小川洋子は、時間を遡るという方法に、逆説的に未来や希望があるということを、
どこかで知っているのだと思います。
私は小川洋子も特に読まないんですね。
エッセイを少し、あとは先に挙げた物語の作り方を語った本(題名も忘れました)、
肝心の小説は持ってすらいないという。
288 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:09/09/21(月) 19:43 ID:VVD0uvMw
幽玄能と似ているように思います。>小川洋子さん
289 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:09/09/23(水) 01:25 ID:mDshYllw
>>269、>>274、>>285、>>288 こんばんは
1ですが
>>288さん、幽玄能、知らなかったもので、
ちょっとネットを漁っただけなのですが、
幽玄能では死者がそのまま登場人物になるものもあるのですね。
ホント詳しくないどころか何も知らないので
書くのもためらわれるんですが、
能は、生も死も、自分の部屋にある道具をさわるかのように、
何げない手つきで扱うものだな、と感じました。
この特徴、西行の歌などにも共通するように思うんですね。
290 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:09/09/23(水) 02:05 ID:mDshYllw
「うらうらと 死なむずるなと 思ひ解けば
心のやがて さぞと答ふる」
西行の歌です。
ネットや本でも、様々な訳や解釈がなされている歌です。
けっこう有名なんだそうです。
初句の「うらうらと」を直接どこに係らせるかで
解釈は大きく変わってしまうのですが、
(ネットや本でもその点は実にさまざま)
私は、第三句「思ひ解けば」を採ります。さあ、今日も野暮全開で。
291 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:09/09/23(水) 02:07 ID:mDshYllw
自分の気持ちが、明確な胸騒ぎや不安などの形をとるのではないのだが、
何とはなしにつかめないような気がするときに、
その微妙さを急いでありきたりの言葉にあてはめたり、
ごまかして気持ちを殺してしまうのではなく、
一度おおらかに構えて心に問い直してみると、
もしかしたら、自分は死を意識しているのかな、
いつの間にか、死のうと思っていたのかな、と
ふと思い到った。
そのとき、「そうだよ」と私に語りかけてくるものがあった。
私の心が、応えてくれたのであった。
292 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:09/09/23(水) 02:24 ID:mDshYllw
上のようにくどくど書いても、なおいいたりないわけで。
短く訳すと下のようになります。
この気持ちは何だ。
まてまて、これはよく考えてみると、私は死のうと思っているのかもしれないぞ。
そのとき、「そのとおり!」と心が返事をした。
「そのとおり!」じゃねえよ、とでもいうべき軽さです。
自殺願望でも絶望でもなく、理由すらない。
ただ空気のように死が登場して、そこには暗さの欠片もない。
あまつさえ、ユーモアすら感じさせるんですね。
伝わるでしょうか。この感じ。
293 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:09/09/23(水) 02:44 ID:mDshYllw
平家物語などをみても、若い武将が実に明るく死んでいきますし、
なにか「無常観」というのは、
現代の死にあるような恐れや悲しみやセンチメンタリズムとは
無縁なようにすら見えます。
能が舞台に死者をそのまま登場させたりするのも、
死が身近、いや、その言い方は語弊があるのですが、
まるで空気のように当たり前に死がそこにある、
つまりは常に死者がそこにいるという実感に基づいているのではないか、
そんな気がします。
おそらく昔の人たちは、「上手に思い出す」達人だったのでしょう。
小川洋子の手法は、その意味で、幽玄能に似ているといえるかもしれません。
294 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:09/09/23(水) 15:13 ID:zCCncj86
こんにちは。
村上春樹のエルサレムスピーチ。
今回も判り易く考察して頂きありがとうございます。
うまく表現できないのですが、
読んでいてせつなくなってしまいました。
他にも小川洋子や西行等々、
浅学な自分にも判り易く、
参考になります。
昨夜、電凸スレにて電話でのやり取りをupして下さった奥様がいました。
それを読んでいて、今更ながら大学の認識の甘さにガッカリさせられました。
この大学の組織には再生など望めるものではなく、
解体するしか道はないように思えます。
