306 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:09/09/25(金) 13:15 ID:OuNlJepA


内部にいる連中の心性は、本当に量りがたいものがあります。

この事件に関しては、「マグダラのマリア」は現れないもんですかね。

私はキリスト教はよく分からないのですが、
罪を悔い改めた末にイエスの復活を見届け、
その後も彼の最もそばにいたという「マグダラのマリア」、
どこぞの皇帝に「復活」を表す「卵」を献上したという、
この事件の先を暗示するような、女性のことをふと思い出しました。

もし京レから「マグダラのマリア」が現れれば、あるいは現れなければ、
いずれにしても、私は今その登場を期待しているんですけどね。

昨日の>>302は、壁の向こう側にも話し掛けたわけで。
言葉が心に響いた人しか、返事はできません。

心に必ず響く言葉などありません。
言葉が響く心なら稀にありますが。

307 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:09/09/25(金) 19:22 ID:OuNlJepA
1ですが。

「にもかかわらず」という題で書くんでした。

なんでこんな、毎日京レのことを考えているのだろうなと自分で思うのです。
事件発覚以来、ほんとうに一日も欠かさずに。
あまつさえ、スレまで立ててしまった。
約一月の間に300近い書き込みをほとんど独りでこなし、そのいずれもが携帯から。
昼ごはんをぼっちで過ごすようになり、ひたすら携帯のキーを叩く。
今も薄暗い喫茶店のソファー席に、独り背中をうずめています。

客観的視点からいえば、変態ですよ、これは。
少なくとも、決してほめられたものではない。

でも、「にもかかわらず」書くんです。

「You are the biggest reason why I am here.」

今日も、始めます。

309 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:09/09/25(金) 19:53 ID:OuNlJepA
村上春樹は、エルサレムの地に立ち、スピーチを決行しました。
私の母は、宗教の会合で孤立することを恐れませんでした。

敵だらけの、あるいは周囲に自分を理解されることなど望むべくもない状況で、
リスクや損や身の危険を知りつつ、「にもかかわらず」起こす行動。

母は、きっと私のために頑張ってくれたのでしょうが、
ただそれだけならば、やはり会合の場でおとなしくやり過ごした方が
賢明であることに変わりはありません。

なぜ、私の母は、わざわざあの場で泣き叫んでみせたのか、と私は考えます。

おそらく、誰も耳を傾けはしないであろう言葉を。

「私は、子供を人殺しのために産んだんじゃない」という絶叫は、
本当に私だけのために発せられた言葉であったのか。

310 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:09/09/25(金) 20:25 ID:OuNlJepA
>>308 こんばんは。どうぞ見てってください。

村上春樹は、自分の読者を頼りにしつつも、
明らかに「壁」の向こうに物を言いに来ていました。

世界的な作家である(と敢えて持ち上げますが)村上春樹はともかく、
当時ただの20代の主婦であった私の母があのような行動を取る動機や覚悟は
いったいどこで培われたものなのか、私には分かりません。

母が特別に「個」の尊重や集団への反発を日頃から意識していたなどとは、
私にはどうしても思えないのです(感謝はしていますが)。


311 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:09/09/25(金) 20:41 ID:OuNlJepA
あと感じるのは、なぜ母と村上春樹の視線は、
なぜこうも同じ対象に向けられているのかということです。

ごく一握りの理解者を頼りに、大げさにいえば世界を全部敵に回すほどの役目を、
リスクを承知で、「にもかかわらず」引き受けています。

決してヤケになっているわけではなく、
盲信的な熱狂とも無縁です。
もちろん、反射的な義憤ともおよそ遠い。

誰かに吹き込まれた考えからは起こり得ない、
かといって経験主義的な思考の熟練とも磨耗とも違う行動。

こなれておらず、むき出しではあるものの、一回性の輝きに彩られた、無償の贈与。


レトリックに走り過ぎていますね。ほめられてチョーシ乗ってるかもです。一旦やめ。

312 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:09/09/25(金) 20:51 ID:OuNlJepA
仕切り直すとですね、
そのような「にもかかわらず」的な行動の必要性に「気付く」には、
「言葉」が要るのではないかということなんです。

きっと、「気付いた」人がただ「壁」の前に立つだけでは不十分で、
またそれを目にする人々も、そこで「壁」の内外に発せられる言葉が心に響かないと、
新たな「気付き」は生まれないのだと思います。

それどころか、「壁」の前に立たされたときにとっさに出た自分の言葉によって、
私の母などは自らが「気付かされた」ような節さえ見受けられます。

このあたり、きっと村上春樹との思考の深さや場数の差でしょうね。

313 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:09/09/25(金) 20:57 ID:OuNlJepA
おそらくは、単純に自分の子供だけを狙って発した言葉が
図らずも普遍的な意味合いを含んでいるということを、
その絶叫の悲痛さが、母自身に思いしらせたのだと思います。

時系列的にはおかしげな理屈なのですが。



314 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:09/09/25(金) 21:04 ID:OuNlJepA
かくして、私は京レの事件と2ちゃんねるという場をきっかけに、
母の「言葉」を数十年の時を隔てて私なりに受けとりましたし、
村上春樹の隠喩にも反応する機会をもらいました。

そしてまたここで、言葉を発信している。

そういうわけなんだなあと今実に勝手にひとりごちているわけなんですが。

まあそれはたぶん私がここに書き込みをする理由の一面にしか過ぎないわけで。


毎度のことながら、携帯の電池が切れそうなんで、もう帰ってもいいっすか。
では、またあしたです。




315 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:09/09/25(金) 21:04 ID:Cwe8Lyo2
お母さんの叫びは、その場にいる狂信的な?信者たちにとって本当は必要な「気付き」を呼び覚ましたでしょうか。
なにかそれに近い、「ざわざわとした、鳥肌の立つような違和感のような、不快感とも違うが快とは程遠い
感情」を呼び覚ましたことでしょうね。


316 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:09/09/26(土) 18:32 ID:M/YN.U4s
>>315 こんばんは。1ですが。

今日は「マグダラのマリア」をもう少し。
私は信者じゃないので色々まずい解釈もあるでしょうが。

「マグダラのマリア」は、復活したばかりのイエスがそばにいたのに、
その男が「彼」であったことに気付かなかったそうです。

なぜキリストが他でもないマリアのそばに立っていたのか、
なぜマリアはキリストに気付かなかったのか、
なぜキリストはすぐマリアに呼び掛けなかったのか、
それは分かりません。

ただ、「気付き」の困難さや偶発性を示す話なのかなと私は解しています。

その膠着した状態を破ったのは、
「マリア」
という、イエスからの呼び掛けであったといいます。