三編起請文

この作品はフィクションであり、実在する人物・団体には一切関係がありません


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636 名前:お伽草子 ◆NhDiiXmp8. [sage] 投稿日:2009/10/26(月) 21:00:14 ID:P2EcQetr


民主主義の本質は、それは人によっていろいろに言えるだろうが、私は、「人間は人間に服従しない」あるいは、「人間は人間を征服出来ない、つまり、家来にすることが出来ない」それが民主主義の発祥の思想だと考えている。

先輩というものがある。そうして、その先輩というものは、永遠に後輩より偉いもののようである。彼らの、その、「先輩」という特権は、殆ど暴力と同じくらいに荒々しいものである。
後輩たちがいくら声をからして言っても、所謂学内は、半信半疑のものである。
けれども、先輩の一言には、ひと頃の、勅語の如き効果がある。
彼らは、実にだらしない生活をしているのだけれども、所謂教授の信用を得るような暮し方をしている。そうして彼らは、ぬからず、その学内の信頼を利用している。
永遠に、後輩は、後輩よりも駄目なのである。先輩は、その教授の信頼に便乗し、あれは駄目だと言い、同学生たちも、やっぱりそうかと容易に合点し、所謂先輩たちがその気ならば、後輩の人生を狂すことが出来るのである。
奴隷根性。
彼らは、意識してか或いは無意識か、その奴隷根性に最大限にもたれかかっている。
彼らのエゴイズム、冷たさ、うぬぼれ、それが、仲間の奴隷根性と実にぴったりマッチしているようである。奴隷根性も極まっていると思う。
頑固。怒り。冷淡。健康。自己中心。それが、すぐれた運動家の特質のようにありがたがっている人もあるようだ。
それらの気質は、すべて、すこぶる男性的のもののように受取られているらしいけれども、それは、かえって女性の本質なのである。男は、女のように容易には怒らず、そうして優しいものである。
先輩たちは、も少し、弱いものいじめを、やめたらどうか。所謂「英雄」と、最も遠いものである。
後輩が先輩に対する礼、生徒が先生に対する礼、子が親に対する礼、それらは、いやになるほど私たちは教えられてきたし、また、多少、それを遵奉してきたつもりである。
しかし先輩が後輩に対する礼、先生が生徒に対する礼、親が子に対する礼、それらは私たちは、一言も教えられたことはなかった。
私はその必要を痛感している。

所謂有能な青年女子を、苦難の人生に追いやるのは、頑固なおまえたち先輩の傲慢さである。
後輩たちの言い分も聞いてくれ! そうして、考えてくれ!
私が、こんな「起請文」などという拙文をしたためるのは、思いあがっているからでもなく、人におだてられたからでもなく、況んや人気とりなどではないのである。本気なのである。
去年、誰それも、あんなことをしたね、つまり、あんなものさ、などと軽くかたづけないでくれ。去年あったから、いまもそれと同じような運命をたどるものがあるというような、いい気な独断はよしてくれ。
いのちがけで事を行うのは罪なりや。そうして、手を抜いてごまかして、教師を目ざしているのは、善なりや。おまえたちは、被害者の苦悩について、少しでも考えてみてくれたことがあるだろうか。
結局、私のこんな手記は、愚挙ということになるのだろうか。まるで、あの人たちには、苦悩が無い。私がこの事件の関係者に対して、最も不満に思う点は、配慮というものについて、全くチンプンカンプンであることである。

おけらというものがある。その人を尊敬し、かばい、その人の悪口を言う者をののしり殴ることによって、自身の、世の中に於ける地位とかいうものを危うく保とうと汗を流して懸命になっている一群のものの謂である。最も下劣なものである。
それを、男らしい「正義」かと思って自己満足しているものが大半である。
真の正義とは、親分も無し、子分も無し、そうして自身も弱くて、何処かに収容せられてしまう姿に於て認められる。重ね重ね言うようだが、この大学に於ては、親分子分しか無いもののように私には思われる。
一言で言おう、おまえたちには、正義の能力が無いのと同じ程度に、愛する能力に於ても、全く欠如している。おまえたちは、愛撫するかも知れぬが、愛さない。
おまえたちの持っている道徳は、すべておまえたち自身の、或いはおまえたちの家族の保全以外に一歩も出ない。
私は、自分の利益のために書いているのではないのである。信ぜられないだろうな。
最後に問う。

弱さは罪なりや。

<太宰治・如是我聞>より