センセイの手提げ袋
この作品はフィクションであり、実在する人物・団体には一切関係がありません
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325 名前:お伽草子 ◆NhDiiXmp8. [sage] 投稿日:2009/10/09(金) 21:47:27 ID:mzrmcYnF
陽太 その一
陽太は最近、大久保のことばかり考えている。
朝、歯磨きをしている時、靴を履こうと屈んだ時、お茶を飲もうと湯呑みを持った時、何かにつけ思い出すのは大久保のことである。
大久保と最後に言葉を交わしたのは半年前になる。卒業式の後で会ったのだが、その時はいつでも会えると思い、気楽に別れてしまった。今はそれが悔やまれてならない。
センセイか…。
大久保は今や、教師になっている。憧れの職に就いた大久保が陽太には眩しい。
大久保が体調を崩し、休暇を取っていると聞いたのは、梅雨が明ける頃である。
大久保とはネットで連絡を取っているが、大久保は体調が悪いそぶりを見せた事はない。
師匠は、俺に心配を掛けたくないんだ。
そう思っている陽太は、大久保がいじらしくてならない。
仲間に容態を聞きたいところだが、その矢先、陽太は停学を喰らい、詳しいことは分からないままである。
師匠に逢いたい!
一度考えると、それはもう抑えられない。
師匠に逢いたい。そうだ、師匠に逢いに行こう。話せなくてもいい。顔を見るだけでいい。どうせ毎日が日曜日だ。出歩くのはマズいが、ヘルメットを被りゃ分からないさ。
一度浮かんだ誘惑に逆らえず、陽太はフルフェイスのヘルメットを被り、隣県の大久保に逢うべくバイクに飛び乗った。
大久保 その一
薄暗い部屋で目覚めた大久保は、枕元の時計に目をやった。時計の針は五時を指している。
まだ五時か、随分早く目覚めてしまった。
大久保は、あと少し布団の中でまどろみを楽しむことにした。
もう少し明るくなるまで、もう少し…。
ところが、あたりは暗くなるばかりである。
ヤベェ!
大久保は夕方の五時だと気付くと、慌てて布団から跳び起きた。
なんと、二十時間も寝てしまったのか。
仮病でズル休みを続け、自堕落な生活を送っているため、時間の感覚まで失ったらしい。
おっ!大変だ!犬の散歩行かなければ。
表向きは病欠になっているため外出もままならないのだが、犬の散歩だけは許されているのである。大久保にとっては貴重な外出の機会である。
大久保は慌てて着替えと、犬の散歩に出掛ける支度を始めた。
犬の散歩にウンコ袋は欠かせない。大久保は専用の手提げ袋に古新聞やスコップを入れ、庭に出た。
「トリスタン!」
大声で呼ぶと、貧相な犬が尾を振りながら大久保に近づいた。
「おお、トリスタン、可愛いなぁ」
大久保はトリスタンの頭を撫で、鷹揚に頷く。
トリスタン…、なんていい響きなんだろう。
大久保は本屋で見かけた名前を付けただけなのだが、自分の命名の上手さに喜びを隠せない。
「さあ、トリスタン、行くぞ」
大久保はぐいとロープ引いた。
「トリスタン、今日は何かあったかい?」
今や軟禁状態の大久保の話し相手はトリスタンだけである。話が通じないと分かっていても、話し掛ける。
「そうか、うん、うん」
一人で満足するのである。
しばらく歩くと、トリスタンは急にもぞもぞと動き、大久保を上目使いに見詰めた。
「ん?どうした?」
大久保は立ち止まり、トリスタンの様子を窺った。
「そうか、分かった」
今や一番の親友であるから、以心伝心である。
「ウンコだな。よし、いいぞ」
大久保は側でトリスタンが排泄するのを待った。
トリスタンは、むふっと踏ん張るとウンコをどっさりとした。バナナのような見事なウンコである。
「おお、いいウンコだ。偉いぞ、トリスタン」
大久保はウンコをスコップで掬い、新聞紙に包み手提げ袋に入れた。ウンコの重みが、ずっしりと腕に掛かる。
「さあ、行こう」
大久保とトリスタンは再び歩き出した。
角を曲がると広い通りに出る。人通りも多い。
大久保が歩いていると、ビスケットを食べながらブラブラしている女の子が目に入った。まだ就学前の幼女である。
大久保はビスケットを見ると、空腹なのに気付いた。二十時間も寝ていたため、最後の食事から丸一日経っているのだ。大久保は無性にそのビスケットが食べたくなった。
幼児の手にはまだ一袋丸々残っている。ちょっとダマして、2~3枚ちょろまかすとするか。
大久保はにこやかに笑いながら、女児に近づいた。
「お嬢ちゃん、美味しそうだね」
女児はきょとんとして、大久保を見詰めた。
「お兄さんにも一枚くれないかな」
幼女は、相変わらず見詰めるだけである。
ええい、鈍いやっちゃな。
「お兄さんも、そのビスケット食べてみたいな」
腹がグ~と鳴り、大久保は思わずビスケットに手を延ばした。
「うえーん」
女児は突然泣き出した。
「お母さーん。こわいよー」
「どうしたの?」
母親らしき女性が、血相を変えて跳んで来た。そして、大久保を見ると、慌てて女児を小脇に抱え、逃げ去った。
「ちぇっ、なんでい」
大久保は面白くない。周囲の人達も、大久保を指差しヒソヒソ小声で話している。
大久保は、異様な雰囲気の中で立ち竦んだ。
陽太 その二
陽太が大久保の実家近くに着いたのは、日暮れ近くである。
陽太が大久保の家を訪れたのは随分昔であるから、道もうろ覚えだ。陽太は大通りに佇み、大久保の家へ向かう記憶を思い起こそうとした。
記憶を辿り、ぼんやりと通りを眺めていると、犬連れの若者が角から姿を現したが、よく見ると紛れも無く大久保である。
師匠!
陽太の胸は高鳴った。
師匠!何だかやつれたようだ。浮腫んでいるし、顔色も青白い。病状が悪いのだろうか。苦労しているのだろうか。ああ、目が潤んでよく見えない。師匠、何と声を掛けようか。俺を見たら驚くかな。喜んでくれるかな。
声を掛けるタイミングを謀り、躊躇っていると、大久保は傍にいた幼女に近付いて行った。そして、親しげに話し掛けている。
その瞬間、陽太の全身から血の気が引き、足元には感覚が無くなった。
なんてことだ。師匠が幼女に、よりにもよって幼女に興味があるなんて。師匠は俺のものではなかったのか。俺は師匠のために全てを捨たのに。よりにもよってロリとは。
相手が男なら分かる。それなら俺だって潔く身を引こう。いや、何を言っているのだろう。師匠が他の男と…。嫌だ、そんなの嫌だ。
陽太は口惜しくてならない。そして、次第に歪んだ思慕は、束縛へと変わるのである。
奪ってやる。師匠の大事なものを奪ってやる。
陽太はバイクを走らせ大久保に近付くと、大久保の腕から手提げ袋を引ったくった。そして懐に納めると、またバイクを走らせた。
やった。師匠の大事なものを奪ってやった。ざまあみろ。ロリに走った師匠が悪いんだ。悲しむがいいさ。俺を裏切った罰だ。ああ、懐から師匠の温もりが伝わる。これが師匠の温もりだ。師匠の暖かさだ。
陽太は、目頭を熱くしながらバイクを走らせた。
大久保 その二
いきなりバイクが近づき、トリスタンのウンコ袋を引ったくられた。
茫然自失の大久保だったが、しばらくして我に返った。
あの後ろ姿…。陽太を思い出してしまった。あいつのことは、ずっと忘れるていたのに、何故だろう。あいつはもうお役後免だな。いい働きをしてくれたが、少しばかり目立ち過ぎた。
「さあ、トリスタン、行こうか。もうすぐ夕餉の時間だ」
大久保はトリスタンのロープを引き歩き始めた。
陽太を切るか。すると次は誰にしようか…。そうだ、パン屋が良いかもしれない。あいつはTV局に顔が利くと言ってたな。今夜にでもメールしてみるか。磯村も、教員試験の発表がそろそろか。あいつも役に立ってくれるだろう。
しかし…。
大久保は立ち止まり、夕日を見詰めた。
いつまで続くのだろう…。
少し寂しさを覚えた、秋の夕暮れだった。
完