「親父の言葉」に関する考察                    猿部寺先生


【お肉壺】QB師匠の窪みを語るスレ【股間が竹の子】 6
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450 名前:猿部寺 ◆zzzsa9rRqo [sage] 投稿日:2009/09/15(火) 22:41:34 ID:OpJBnqDP

ちょっと親父の言葉を考えてみた

<A> 幼少のころいじめられていた私には、父親がくれた言葉である
    「放っといたらいい、そのうちやめるから」の真意が理解できず
    かたくなにガードするばかりだったため脆いままの自分が残ってしまった。
    その自分の脆さや弱さに気付き、向かい始めた今日この頃。
<B> マザー・テレサの言葉を例として「ネガティブなものにエネルギーを与えない。
    ポジティブなものにエネルギーを与えること」を日々心がけているが、
    さらに上記に「ネガティブなものの存在を認め、ただ認め、そして手放す」を挟み込みたい。
<C> 内部にも外部にも存在する「ネガティブなもの」は、避け続ける限り存在し続ける。
    それを、いいも悪いも「認め」れば「手放す」ことができ、手放せると
    心に余裕ができ、支えてくれる人も見えてくる。
<D> ここに至って考えはAに至り、父親の言葉に抱いた反感が消えてきた。
    そして父親が言いたかったことは、B、Cで述べた考えと似ているのではなかろうか。

わかりにくい理由は、まず思考と叙述の時系列が混乱していること
思考の流れとしては、C=Bという持論があり、それを考えていってA→Dの父親にたどりついている
それを何のためか倒置して書くから訳がわからなくなる
次にわかりにくいのは、結論であるDに2つの要素が混ざっているから
すなわち反感が消えた、という要素と、父親のいいたかったことは自分の持論と似ていた、という要素
(さらにAでは前者の「反感が消えたという要素」しか述べてないのも混乱を助長させている)
整理して書くとするなら、まずDを2つの側面から述べて、その上で、なぜならば自分には
C=Bという信念があり、それを考えていったらDの結論にいきついた、とするべきかな

整理できたところで分析、なぜC=Bを考えていたら父親の言葉が出てきたのか
内面の問題だけを考えていたなら、この言葉にはたどり着かない、別の事例はいくらでもある
もうひとつ、Dの後者「父親のいいたかったことは自分の持論と似ていた」について
これはわかりにくい、Cには、Dの後者に結びくだけの必然性が(他人には)感じにくい
だってCでは「ネガティブを認めて手放せば救われる」なのに、父親の言葉は「放っておけばいい」
認めるということは、放っておく=無視するとはいわば真逆、となるとここに独自の連鎖があるはず

これらは、Cのどの部分を重視したら父親の言葉が出てきたか、ということにつながる
すなわち「内部にも外部にも存在する『ネガティブなもの』」と「支えてくれる人」がポイントかも
こう考えると、巡礼とのつながりもあながち無関係とはいえなくなってくる

<つまり> ちゃんと気付いているよパパ、安心して!
      あとあんまりいじめないで! 許して、助けて!
      (暴いて放り出す、ってのは過剰な解釈かもしれません、と思ったら学部に湧いてるな…)



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