第2回理系女の挑戦  + α



【お肉壺】QB師匠の窪みを語るスレ【股間が竹の子】 5
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/aniki/1251558045/
430 名前:第2回理系女の挑戦 ◆jbk/fGtpkA [sage] 投稿日:2009/09/04(金) 00:26:54 ID:Es+GkMwx


国語が苦手な私が、本日もまたネットで見付けた迷文の解釈と考察をしてみたいと思います。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sousai/1251187665/280 より

1、まず、私が直接知っていたため無罪を信じた件、信じることは自由だと思っています。
(直接加害者を知っていたため、私が彼らを無罪だと信じるのは自由だと思います)
→無罪を信じるのは自由だが、法的な裏づけも証拠もなしに無罪を信じると主張するのは
他人から理解されなくて当然である。

2、制裁は、警察その他がきちんと下しますし、その結果を私はまた受け止めるしかありません。
(司法の判決を受け止めるしかありません)
→起訴猶予と判決が出たあとの文章なので、それに対して「受け止めるしかない」と表現するのであれば、
本人にとっては不本意な結果であったということ。

3、有罪判決が出ていたならそれを、今回このようになったならそれを、受け止めるまでです。
特別な個人的感情は働いていません。知人であろうと、犯罪を犯したなら犯罪者に違いありません。
(例え有罪判決になっても、今回のように起訴猶予になってもそれを受け止めるまでです。
個人的な感情では見ていません。知人でも犯罪者は犯罪者です)
→②の「受け止めるしかない」と、「個人的感情は働いていない」は明らかに矛盾する。
本当に、個人的感情は動いていないなら、「受け止めるしかない」ではなく、「受け入れます」のはず。
「~しかない」というのは、(仕方なく)●●するしか手立てがない、という意味になる。
つまり、ここで言いたいのは、自分は国家権力に逆らう気はございませんということのみ。

4、そして、ただその視点を持つだけで中傷と取られた面があったこと、
そのように取られる言葉を述べてしまったことにはお詫び申し上げます。
(加害者の無罪を信じた気持ちを書き込んだことにより、
被害者を中傷したと解釈を受けるような表現になってしまったことをお詫び申し上げます)
→加害者の無実を信じるということは、事件がでっちあげか、被害者に非があるということを主張することになる。
つまり、筆者の駄文に対しての謝罪なのか?

5、何度かお伝えしていますが、擁護だの中傷だのという以前に、
私はこの事件の根本的な部分と、これに関わった当事者含め、
中心にあった関係者全ての人間性についてを考えているという点は終始一貫して変わりはありません。
(加害者擁護・被害者中傷だという以前に、
私はこの事件の原因と関係者の人間性について考えているということは、何回も書いております)
 →書き手は関係者ではないのか?
関係者だと言うなら、自分の人間性についてはどう思っているのか?
関係者ではないと言うなら、何故ここまでしゃしゃりでてくるのか?
また、その関係者には被害者が含んでいるのか?
関係者に被害者が含まれるとの主張なのであれば、何故犯罪被害者の人間性を考慮する必要があるのか?
例えどんな人間であっても犯されたり殺されたりすれば、被害者なので人間性は一切関係ない。

6、それは何かというと、本人に限らずその家族、親族、関係者、その生活や人生にまでも大きな傷が及ぶことを考えたからです。
(多くの人の生活や人生に影響が及ぶと考えていたので、事件の原因や関係者の人間性を考えるべきだと思った)
→ここでいう本人とは誰のことなのか?

7、今は関係者の誰もがこの痛みを味わい、一番深く傷ついたのは女性だと私は思っています。
(みんな痛みを味わったけれど、一番辛いのは女性だと思っています)
→3、で述べた関係者に被害者が含まれることを意味している。
つまり犯罪の被害者であっても人間性について考慮しろと主張している。
そして、被害者と明記しないところを見ると、被害者の女性を「被害者」とは見ていない可能性も出てくる。

8、真実を知る、知らないに関わらず、ただこれは私という個人の考えに過ぎないものです。
その部分をお忘れにならないでください。
(真実を知る、知らないは関係なく、加害者の無実を信じるという考えは私個人のものです)
→ここでいう真実を知る、知らないは関係なくとは、どういう意味なのか?
筆者が、真実を知っているのか知らないのかわからないのか?
真実を知っている人間と真実を知らない人間がいると言いたいのか?

9、表面に出て分かるものは分かって当然です。
(報道されていることは、誰もが知って当然である)
その本質を探らず、何が議論できるでしょうか。
(報道されている以外のことを、探らないで何が議論できるのか)
関係者の誰もが傷ついた一件だと私は考えています。
(事件の関係者全てが傷ついた1件だと考えています)
→8、の真実とは、報道されていない部分を指していることを暗示させる文章。
これによって、8、の文章は、真実を知っている人と知らない人がいるという意味と推測される。
関係者の誰もが傷ついたという文章では、関係者に加害者も含まれているのか?
犯罪加害者は罪を犯したのだから、それに対する法的な処罰、社会的制裁を受けるのは至極当然のこと。
それを「傷ついた」とは表現するのは、明らかな加害者擁護。



441 名前:ウホッ!いい名無し…[] 投稿日:2009/09/04(金) 01:12:02 ID:fMXPbGw7


上記より気になった点を数点置いておきます。

1、でまず、何を知っていたかを書いてないんですね。
加害者を直接知っていたからといって、無罪を信じる根拠にならないし・・・
「信じたい」と「信じる」は別物

3、は判決内容を受け入れていないから、無罪を今だ信じてたんじゃないの?と思うが・・・

5、の中心であった関係者が「すべて」と入ることで何処までか範囲不明。

8、でも自分が真実を知っているとは書いていない。だが主張はする。という。

9、の本質とは⑤の人間性のこと?事件は結果が出てるのだがやはり受け入れられないということ?

やっぱり内容がない文章です。